えごブログ

大学生がふとブログってのを初めてみました

話題の韓国映画「パラサイト 半地下の家族」ってのを観たんだな

どうも平凡な大学生です!

最初どんな記事を書けばいいのか悩んだわけですが、、、

悩むぐらいなら書いてみよう!!ということで

 

記念すべき?一発目は、パラサイト 半地下の家族について触れていきます。

 

画像

www.parasite-mv.jp

 

1:「パラサイト 半地下の家族」ってどんな作品? 

 韓国映画として史上初めてのカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドール賞を受賞

 第92回アカデミー賞においても作品賞・監督賞・脚本賞・国際映画賞の4冠を獲得

 

 手掛けるのは韓国映画の鬼才、ポン・ジュノ

 彼の映画には、母なる証明」「殺人の追憶」「海にかかる霧」など、数々の高い評価を得ているものがあります。

 

 コメディな要素も含みつつ、それでいて驚くような出来事も起こりあっという間に終わってしまいます。

 

2:映画のあらすじ

 舞台は韓国、貧困地区に暮らすキム一家がいました。キム一家は全員失業中で、このIT社会でWi-Fiを使うのにも苦労するその日暮らしをしていました。

 

 そんなある日、長男ギウは名門大学に通う親友の紹介で、身分を偽りパク家の家庭教師となる。パク家はIT企業の社長である一家で大富豪である。

 

 うまくパク家の信頼を得たギウは、次は妹のギジョンをパク家へ、そして次は父を、最後には母をパク家へ就職させる。

 

 パク家に貧乏であることがバレないようにするためには、自分たちの身分も関係もバレてはいけない。

 

 この寄生(パラサイト)生活はどうなっていくのか、、、そして暴かれるパク家の秘密とは、、、!!

 

3:半地下ってなんなの?

 さて2ではどうして「パラサイト」なのかが分かったかと思います。では次に「半地下」について触れていきましょう。

f:id:daigakuseinaburogu:20200526232028j:plain

半地下で暮らすキム一家

 キム一家が暮らす半地下」は時代を遡り1970年。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、北朝鮮との朝鮮戦争に備え防空壕として新築の低層住宅に地下室を作ることを義務付けました。しかし1980年代の住宅危機で首都ソウルの住宅不足は深刻になり、政府はこの地下室を住宅として使用することを許可せざるを得なくなりました。この法改正により半地下は低所得者の住まいとして変化します。

 

4:考察してみよー (ネタバレを含みます)

 この考察を誰かに共有してみたいがためにブログを書き始めたと言っても過言ではないかもしれません、というきっかけはおいときまして、、、

f:id:daigakuseinaburogu:20200526232135j:plain

 

 やはりこのパラサイトの考察で外せないことといったら、「なぜ父ギテクはパク社長を刺したのか」ということだと思います。

 

 まず最初に考えたのは、上流階級への嫉妬による怒り、です。自分たちは毎日を生きるのが精一杯なのに対し、大きな家に住みお金に困っていないパク家をうらやましく思ったでしょう。しかし、同時に良い仕事を家族全員がもらった感謝というのもあるため、これだけで刺すという考えになるでしょうか?

 

 ではここで、パク社長がキム家の父ギテクの臭いについて話していたシーンを覚えているしょうか?パク社長は「切り干し大根のような臭い」だと話していました。でもこの臭いがなんなのか、それがパク夫妻にはわかりませんでした。この話を聞いたキム一家はその臭い「半地下に住む者の臭い」だと気付きます。

 

 この話を聞いたときの父ギテクは何を想ったでしょうか。間違いなく劣等感は感じたでしょう。他に考えられるのは「自分は同じ人間として認識されていないのではないか、という違和感」だと、僕は感じました。

 

 つまり、パク夫妻はギテクが同じ階級の人とはいえない相手だったためこの臭いの正体がわからなかったことを無意識的に感じていたのでしょう。

 

 そして、元家政婦のムングァンの夫に自分の娘ギジョンが刺された際、パク社長がムングァンの夫の臭いに不快感を示したことで、違和感が確信に変わり、刺したのではないでしょうか?

 

5:この作品を通して

 この作品は何を表現したかったのでしょうか、

 

 もしかするとこの作品は、現代の韓国社会のなかなか這い上がれない構図に対する不満をぶつけているのかもしれません。

 

 実際に現代の韓国社会は、サムスン・現代・LGなどの財閥に関係する人々とそうでない人々で大きな貧富の差があります。誰かが悪いとか悪くないとかではなく、どうしようもない差があることへの怒りがあったのかもしれません。

 

 ポン・ジュノ監督の作品には語りかけてくるような、訴えかけるような表現力を感じます。