「万引き家族」いってみましょー
どうも平凡な大学生です!
さてさて3本目ということなんですけども、先日第72回カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞を受賞した「パラサイト 半地下の家族」について書きました。
そこで今回は、その前年第71回のパルム・ドール賞を受賞した「万引き家族」について触れていきましょう!
1:「万引き家族」ってどんな作品?
第71回カンヌ国際映画祭で日本映画として21年ぶりにパルム・ドール賞を受賞。
親が死亡したことを隠して家族が不正に年金を受給していた「年金詐欺事件」、そして子供に万引きをさせていた家族の裁判の事件、この2つの家族に関する事件をもとに、「血のつながりではなく、お金と犯罪によってつながっている家族」について描かれています。「家族とはなんなのか」、家族について考えさせられる作品になっています。
2:あらすじ
東京の下町の古い平屋に特殊な関係で繋がった5人の家族が暮らしていた。家族の収入源は夫婦の少ない給与とおばあちゃんの年金しかなく、生きていくために万引きを繰り返しながら生活していた。
冬のある寒い日の夜、いつものように万引きをした治と祥太は帰り道に団地の廊下で震える少女を見つけ、家へ連れて帰る。夕飯を分け与えた後、元の家に少女を帰そうとした治と信代だが、少女の両親の口論を聞いた2人は少女を育てることにする。
貧しいけれど仲の良かった家族だったが、重なる事件によって関係性が変わっていく。犯罪とお金によってつながった家族はどのような結末を迎えるのか、、、
3:タイトルにある「万引き」とは
この柴田家は生活していく中で亜紀を除いて全員が万引きをしていました。治と祥太は日用品などをスーパーから、信代は働くパート先で客のポッケに入ったままになっていた物を、初枝はパチンコで隣の客の玉を盗んでいました。
そして、単純に人の物を盗む万引きだけではなく、この柴田家族自体も万引き(誘拐)によって集まっていたのです。りん(少女)は近所の団地から、祥太はパチンコ屋の駐車場から、亜紀は居づらかった実家から、集められていました。
広い意味で言えばこの家族が住む平屋は初枝のものなので、ここに住むみんなが誘拐されているようなものなのかもしれません。
4:この作品のどこがすごいのか
一見仲の良い普通の家族に見えるところから始まり、徐々に関係性が紐解かれていくところにとても興味が惹かれる作品でした。状況説明をするようなセリフが無いにもかかわらず、この6人の細かい心情の変化がひしひしと伝わってくるような展開になっていました。
りんの髪を切ったり買い物に行ったりする日常や、縁側から花火を眺めた夜、みんなで海へ遊びに行った旅行などから、血が繋がっていないながらもお互いがお互いを必要とし合っていて、うまくバランスをとっていたこの家族には、お金がなく犯罪を犯しながら生活しつつも、確かに家族の温もりがあったことがわかります。
5:考察
・作中に度々出てくる「スイミー」はなんなのか?
「スイミー」とはオランダ出身の絵本作家レオ・レオニが著した絵本で、小学校低学年の教科書に度々載っています。読んだことがある方も多いのではないでしょうか。
是枝監督は、取材で自動保護施設を訪れた際に、一人の子供が「スイミー」の読み聞かせをしてくれたことが印象に残り、作中に取り入れようとしたそうです。
ざっくりと「スイミー」のストーリーを説明すると、
群れの中で一匹だけ色が黒く泳ぐのが速い魚「スイミー」がいました。
ある日、恐ろしいマグロがやってきて仲間たちはみんな食べられてしまいました。
スイミーは一人寂しく海を泳いでいましたが、様々な海の美しいものを見て元気を取り戻します。
そして、スイミーにそっくりの魚の群れを見つけます。彼らは大きな魚に襲われることを怖がっていました。そこでスイミーは自分が目となり、彼らと一匹の大きな魚のふりをしてその大きな魚を追い出すことができるのです。
という話でした。
教科書に載っているのは「みんなで協力して何かに立ち向かうことの大切さ」という意味で使われているように感じます。しかし実際の絵本では、スイミーが一人になった後、様々な海の美しい物を見て元気を取り戻すシーンに重きが置かれています。
つまり「辛いことがあっても、美しい世界を見ることを通して人生の美しさについて深めていくお話」なのです。
では「万引き家族」においてこの「スイミー」が伝えたかったことはなんでしょうか?
ぼくが考えたのは、「血は繋がってない上に犯罪で繋がっている家族ではあるけど、その生活の中で起きる様々な出来事は確かに本当の家族の愛を深めていく話」なのではないかと思いました。また仮に映画に続きがあったとしたら、スイミーのように柴田家も再び集まっていたかもしれません。
・柴田家はなぜ崩壊してしまったのか
柴田家は初枝の死を皮切りに物語が悪転していきます。治と信代は仕事を失い。祥太が警察に捕まり、家族は散り散りになります。
そして、治は一人暮らしを始め、信代は罪を被り服役、祥太は児童保護施設へ、りんは本当の両親の元に戻されます。亜紀に関する描写はありませんでしたが、りんと同じように本当の家族のところに戻されたのかもしれません。
亜紀は警察に取り調べを受けて、自分たちが何をしていたのか話してしまいますが、初枝は亜紀の実家から受け取っていたお金を貯めていたことを話していたら、亜紀が警察に話してしまうことはなかったかもしれません。ぼくの想像ですが、初枝がこのお金を貯めていたのは、いつか一人立ちするかもしれない亜紀のためだったのではないかと考えます。
バラバラになった後、祥太が治のところに泊まるシーンがあります。祥太はそこで警察に捕まった日に治たちが自分を置いて逃げようとしていたこと、が事実だったと聞かされます。そして次の日祥太は施設へ戻る前に、警察にわざと捕まった、と治に告げます。
祥太が本当にわざと捕まったかどうかは謎ですが、祥太は日常的に犯罪をして暮らす自分たちに違和感を感じていたのは事実で、自分が治と信代に助けられたことも自分を助けることが目的ではなかったように感じていました。もしかすると祥太は、本当の家族の愛があったのか、を確かめるためにわざと捕まったのかもしれません。
・ラストで対称的になった祥太とりん
祥太は児童保護施設に入り、学校に通ったりもう犯罪をしなくても良い生活をすることができるようになります。治と釣りをした際にも知識を身に付け、自分の今の生活が幸せなことがわかります。
一方で反対にりんは本当の両親のところに戻されますが、結局は虐待を受けたまま両親からの愛を注がれていません。映画のラストはりんが一人で廊下から外を眺めるシーンで終わります。
この2人の対称的な様子から、家族のところに戻ったから幸せというわけでもなく、何か考えさせられるような複雑な気持ちにさせられます。
6:最後に
いかがでしたでしょうか?この柴田家がこの映画の後再び集まることがあるのかどうかはわかりませんが、家族というものは血が繋がっているかどうかだけでわかるものではなく、家族とはなんなのかについて考えさせられる作品だったのではないか、と思います。